☆ 2010年10月.毎日新聞の米村耕一記者が平壌市内で撮影した写真. ☆


平壌市内のアパートでは早朝も電気が着いていた.

平壌市内のレストラン.若いカップルが食事を楽しんでいた.

輸入品のビールや食料品が詰まったレストランの売店.

大同江のほとり.帰宅途上の市民.対岸に見えるのは玉流館.

夕焼けに照らされる大同江と帰宅を急ぐ平壌市民.

故金日正首席の肖像画が掲げられた平壌駅の駅舎

食用油や味噌が当たる「クジ屋」のテントには数十人の人だかりができていた.

列車のほかにトラムや路面電車の乗り場がある平壌駅周辺は人通りが多い.

大同江のほとりで焼肉を楽しむ平壌市民.

平壌市内では大半が歩行者で,自転車の姿は意外と少ない.

平壌駅近くに設けられた射的場も賑わっていた.
1回100ウォン(闇レートで7円程度)で当てるとタバコがもらえる.

平壌駅周辺の公園のベンチで食事を楽しむ親子.

食用油や味噌が当たる「クジ屋」のテントには黒山の人だかり.

平壌駅近くの路上で三輪車の荷台にトマトやナシを並べ売る女性.
後方にはDVDの売店も見える.

平壌市内には各所に子供の遊び場があり,あちこちで元気な歓声が聞こえた.

平城駅前の百貨店の内部は閑散としていた.

平壌市内ではあちこちで携帯電話を使う姿が見られた.

平壌市内のタクシーの運転手に料金を訊くと,米ドルで答えた.

☆ 毎日新聞の米村記者のインチキ記事を嗤う. ☆

以下は,2010年10月12日の毎日新聞の記事である.
タイトルは,『「特権都市」平壌 農村と大きな格差』となっているが,豊かな平壌の写真だけで,「貧しい農村」の写真がない.米村耕一記者は,ひとりで平壌を歩いただけで「貧しい農村」には行っておらず,従って写真もない.これで「農村と大きな格差」と決めつけるのだ.まことにインチキな記事であるが,写真はウソはつかない.
              文責:飯山一郎 (2011年10月凶日←日本は毎日が凶日だ.)


( ↓ 毎日新聞の米村記者の記事 ↓ )

☆ 【ルポ】北朝鮮:「特権都市」平壌 農村と大きな格差 ☆

写真 味噌や食用油などが当たる「くじ」の店には黒山の人だかりができていた=平壌市内で2010年10月11日午後1時半ごろ、米村耕一撮影

 朝鮮労働党創建65周年と金正日(キム・ジョンイル)総書記の三男正恩(ジョンウン)氏の後継者としての登場で祝賀ムードにあふれる北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)を9~12日に訪れ、1人で街を歩く機会を得た。ネオンは深夜になっても消えず、高級レストランに市民が詰め掛ける。深刻な食糧難や電力不足に悩む農村とは無縁の「特権都市」の姿は、平壌と地方間の格差の急速な拡大をうかがわせた。【平壌で米村耕一】

 ◇正恩氏登場で祝賀ムード

 市内を流れる大同江(テドンガン)の河畔近くに「食堂」という看板を掲げた数軒の店が並んでいた。11日午後8時半過ぎ、夕食を終えた客が家族と共に現れて自家用車に乗り込んでいく。

 一軒に入ってみた。外観は粗末だが、内部は個室もある高級レストランだ。メニューを見ると価格表示は米ドルで、焼き肉盛り合わせが22ドル(約1800円)、高級ブランデー「ヘネシーVSOP」が100ドル(約8200円)。ほぼ満席で、周囲の客の胸には「金日成(キムイルソン)バッジ」が光る。大きな冷蔵庫に輸入ビールや食料品がぎっしり詰まっていた。

 外貨を北朝鮮ウォンに交換する闇両替商も街のあちこちで見られる。統制が緩くなっているようで、外国人である記者が話しかけても逃げることなくレートを教えてくれた。

 同日昼過ぎに歩いた平壌駅周辺の路地では、「新聞」と書かれた売店に人だかりができていた。「新作」という張り紙があり、CDやDVDが売られている。DVDの再生機を持つ市民も多いようだ。売店の前では、三輪自転車の荷台にトマトやナシを並べる女性がおり、ウリを持った別の女性が合流した。自然発生的な即席の市場だ。トマトは1キロ2800ウォン(闇レートで約200円)。話しかけると「ナシが甘いよ」と薦めてきた。

 数十人が囲む小さなテントもあった。「くじ」だという。1回1000ウォン(同約70円)で折りたたんだ白い紙を受け取り、中に書かれた番号にしたがって商品がもらえる。みそや食用油が当たると周囲の客も「ウォー」と歓声を上げていた。

 深夜になっても、平壌駅前のビル屋上には「朝鮮の心臓 平壌」と書かれた赤いネオンサインが輝いていた。平壌は、党や国家機関関係者が人口約300万人の大半を占め、外部からの人口流入を厳しく制限する「特権都市」だ。中国を6月に訪れた農村出身女性は「年に何日か、それも数時間ずつしか電気がつかない」と話していたが、平壌ではそんな雰囲気はまったく感じられなかった。

 北朝鮮は、10日の閲兵式取材のため各国から計95人の記者を受け入れた。今回は、人数が多すぎて手が回らず自由行動が許されたようだ。市内の経済状況が比較的良いことが背景にあった可能性もある。深夜に宿泊先の高麗ホテルへ戻ると、当局者が玄関で待っていたが、「平壌の夜景も悪くないだろう。現状をそのまま報じてくれればいい」と言っただけだった。(2010年10月12日)

  【参考】 『金王朝の “深い深い謎”』(by 飯山一郎) ← ご一読のほど。

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