井本沙織のロシア見聞録

井本 沙織氏 大和総研産業コンサルティング部主任研究員

井本 沙織氏

大和総研産業コンサルティング部主任研究員

第14回「『プーチンの懐刀』クドリンのロシア」(2008/05/20,ORG-URL

  好景気の祭りを楽しんでいるかに見えるロシアは、8年前よりも遥かに複雑で多様な経済的課題を抱えている。8年間続いたプーチン時代は、このまま国家主導 型の資本主義への進化をし続けるか、あるいは政権交代を機に民間セクターを重視する経済モデルへと変わるか。今度こそ、メドベージェフ新政権には通貨危機 の際の戦時のようなサバイバル術ではなく、先進国並みの高度な経済政策で勝負する時期が来た。

 

ロシアのイメージはどんなもの?

 一昨年の正月にウクライナへのガス供給を止めたガスプロム。その後は、サハリンⅡへのこの問題児ガスプロム参加をめぐる、石油メージャーとの利権 争い劇が世界のコミュニティーを虜(とりこ)にした。資源高騰を背景に力の外交と名づけられたロシア政府のやり方は、ロシアそのもののイメージになってし まい、時間が経っても消える気配がない。

7日、クレムリンでの大統領就任式で肩を並べるメドベージェフ新大統領(右)とプーチン前大統領〔AP〕

 それにロンドンで起きた元KGBエージェントのリトビネンコ暗殺事件を加えれば、「怖い国」の印象の出来上がりである。実をいうと、私はそのリト ビネンコ暗殺事件は他人事ではないような出来事であったと思う。この事件と関連し、2006年秋の英国航空(British Airways=BA)の放射性物質による汚染の可能性がある便名リストに、私がモスクワからロンドンに向かって使った便も含まれていた。BAのサイトに は、これらの便に乗った人は病院で健康診断を受けることをお薦めする、という警告が掲載されていた。この警告の文字が目に入った瞬間、冷や汗で額がびっ しょりとなったのを覚えている。被曝(ひばく)の可能性はほとんどゼロと言われても、さっそく、その飛行機に乗り合わせた同僚とともに大和グループ本社の 医務室でチェックを受けることにした。診断の結果は、特に問題がないということだったが、国際線のセキュリティーチェックの探知機のようなもので背中を触 られた瞬間の鳥肌の立つような緊張感があり、これがロシアのイメージの一つという合併症のようなものが今でも少しばかり残っている。余談ですみません。

 しかし、このようなけしからんイメージを多くの人が抱くにもかかわらず、投資家の信頼がないと流れてこない海外からのポートフォリオ投資にしても、直接投資にしても増えていく一方という事実も存在している。

イメージと相反するような投資家の行動の根拠とは?

 一つは情報の量と質の問題である、と私は思う。なぜなら、ガスプロムとリトビネンコ事件はロシアではあるが、ロシアのすべてではない。より充実し (量)、かつ正確な情報(質)のもとで判断を行う投資家は有利な立場にあり、ロシアのポテンシャルを信じて投資を拡大させている。今ロシアが変化している スピードはまさにドッグイアーで、5~6年の間に想像もできないことが日常的になったりしている。

 先週、ロシアビジネスに力を入れている日本の大手の商社マンと話す機会があった。為替リスクどうしているかと聞いたら、「普通です。銀行で為替約 束をしてもらっています。手数料もわずか」。投資家にとっては重要性の高い為替リスクのヘッジが容易にできるようになった。ごく普通のビジネス的な話だ が、ロシアはノーマルな国になっていることを十分示している。儲けたルーブルを自由にドルに換え、自由に持ち出せるロシアはビジネスの観点においてノーマ ルな国になりつつある。

 そして、投資家に投資させる気にする今のロシア経済の本質には何かがあることを反映していることを忘れてはいけない。ビジネスへの国家の干渉、石 油輸出依存のようなマイナス材料があるにもかかわらず、ロシアは経済大国になるという投資家の確信はどこから来ているのだろうか?

プーチンの時代の黒子役

 8年間続いたプーチン時代。彼が通貨危機の後に受け継いだ経済状況は、終戦直後とも例えられる80%を超えるインフレに銀行セクターは絶滅状態で、国民は暗いムードに覆われていた。

8年間で市民の生活は豊かになっていった(モスクワ市内のスーパー)

 そのときのプーチン大統領には、危機からの回復というサバイバル術が求められ、大統領はこれに成功した。その背景には、強力な追い風となった石油 価格高騰があった。いうまでもなく、国の輸出の大半を占めるエネルギー資源、とりわけ石油価格が上がれば経常収支が改善され、財政も持ち直すことが可能と なった。ここでのプーチン政権の大きな実績は、このオイルマネーを財政改善に向かわせ、経済を安定させたことにある。なぜそれが大きな実績かというと、他 にも違う選択肢があったからである。国民にとって悪夢にしか思えなかった経済混乱の辛い90年代の後に黄金の雨のように降ってきたオイルマネーは福祉にも 公務員の報酬向上にも活用させるという情のある惑いが、政府にあったに違いない。当時の貧困層は、公式な統計でも(それは多分、過小評価であったが)人口 の30%を超えていた。そのようなときに資金をまず国際債務の返済に充て、財政を立て直す、どちらかというと中期的なことに優先順位を決める政治的な決 意、そして、その決意を実現するスキームを実施できたことは、プーチン政権の評価につながった。

 ロシアを復活させ、国際舞台に戻らせるという、賢明でかつ一貫したマクロ経済政策の黒子は他の誰でもない、プーチン大統領のサンクトペテルブルグ時代からの同僚であり、そして8年間にわたり国の財布を守り抜いたクドリン副首相兼財務大臣である。

1人の大統領の2つの時代

 2000年から2008年までのプーチン政権あるいはプーチン時代は、よくみると一つではない。大統領就任から04年までの経済政策は、構造改革 の路線であった。エリツィン大統領の時期から手がけられたが、経済の混乱のために実施が困難になった幅広い分野の改革が、プーチン政権になって再び注目さ れ、力が入った。税制改革、裁判制度改革、自然独占改革も政府政策の優先順位に入っていた。ただし、自然独占改革といえばガスプロム改革も取り上げられて いたものの、04年のプーチン大統領の2期目からは「時代」が変わって、ガスプロム改革という言葉すら聞かれなくなった。04年以降は石油価格がさらに大 きく上がっていくにつれて、改革の発想がだんだん希薄になってきたからである。

 プーチン大統領の2期目は、1期目とは180度違う性格のものになった。政府は、改革から積極的なプレイヤーになる「ビジネス」構築に戦略をシフ トさせた。そこから国営企業が次々と設立されはじめ、政府の関与が激しくなった。同時に汚職問題も深刻化し、海外からの批判が厳しくなった。

クドリン氏は引き続き経済政策の手綱をさばく(写真はモスクワの聖ワシリ寺院)< /td>

 そして、その2つの時代の共通点は、ロシアの今の経済の基盤を作って、そして、守ったクドリン財務大臣の健全な財政方針であった。外貨準備金残高 では世界の第3位にのぼり、財政黒字を福祉にも割り当てる余裕ができた。今はむしろ、使い方に要注意の財政の行方が気になる。特にインフレ率が再び2桁に のぼり、下がる気配がないからである。

 メドベージェフ大統領がプーチンの方針を受け継ぐことを疑う人はいない。しかし相反した2つのプーチンの時代のうち、どちらが受け継がれるのか は、まだ誰にも分らない。私は次の財務大臣に誰が就任するかということに非常に興味があった。そしてクドリン氏は、新内閣においても財務大臣のポジション をキープしたと聞いて、ロシアの時代はまだまだ続くと確信し、ほっとした。 (ORG-URL)

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