1993’08
★”結婚”を考える
派手な宴はイエ・ネットの示威行動。
日本男子の幼児化は止まらない?


 いやぁ、盛大な結婚式だった。
 主賓・森山真弓文部大臣をはじめ何人もの国会議員が次々に祝辞を述べ、その合間をぬって新郎新婦が何回もお色直しのために中座をする。同じ衣装の写真はすでに幾日か前に撮影済みであるから、新郎新婦の再入場までの時間は、アッという間だ。
 甘い恋愛映画のスクリーンからそのまま抜けだしたような新郎新婦の衣装には、金ラメ・銀ラメがまばゆいばかりに光輝いて、 「うわぁ、きれいッ!」という感嘆の声があちこちであがる。
 “豪華絢爛”というのは、こーいうのを言うんだろうな。いつしか私も、華やかな雰囲気と最高級のワインの味に酔いしれて、両親への花束贈呈の時には隣の席の上品なお嬢さんと一緒にハンカチを取りだして泣いてしまったっけ。
愛を育んだ電子メール
 この披露宴の新郎・新婦が結ばれたのは、パソコン通信がきっかけだった。
 パソコン通信で知り合った男女が結婚にこぎつけた、という話は、ときたま本誌でも紹介されるので知ってはいた。けれども、パソコン通信を利用して親しく付きあってきた仲間が実際に結婚をするというのは、新郎新婦や私が属するローカル・ネットでは初めてのことだ。
 おそらく2人は、パソコン通信の電子メール機能をフルに使って、お互いの心を確認しあい、皆が知らない間に熱い愛の言葉を交わしてきたのだろう。
 愛しあう2人にとって、パソコン通信は最適のメディアであったと思う。電話のような臨場感こそないが、言葉は確実に相手に伝わり、それぞれのパソコンの記憶装置の中に“愛の軌跡”として永久に保存される。が、これはいつでも好きな時に取りだして見られるから“愛の証拠”でもある。
 「あなた! 昔はこんなこと言ってたじゃないッ」…てなことになるかどうかは別にしても、新郎も新婦も相手から届いたたくさんの電子メールを“初心に帰る”ときのバネとして大いに活用することだろう。
パソ通は男がすなる文化
 宴もたけなわの頃、ザワザワと騒がしい会場をビールをつぎながら回っていたら、「パソコン通信が仲人の代わりをする時代なんだネ」…という話がでたが、これは社会の実態を理解していない人の言だと思い、私は無視した。
 だって、皆さん、そうでしょ? 日本ではパソコン通信は、将棋みたいなもので男がすなる文化だもの。本誌の『言いたい放題』欄を見ても女性の登場はごくまれ。だから、パソコン通信が結婚適齢期の男女の出逢いの場になる、という可能性はゼロに近いと思っていい。
 それなのに、「女性の方、メール下さい。待っています」…というメッセージが跡を絶たないのは、まことに困りもんなのである。本誌の読者には皆無であろうが、もしご友人に“女性の方、メール下さい”専門の男がいたら、「最高に恥ずかしい行為なのだから、今後は絶対にやらないほうがいいぞ!」…と、厳重に忠告してあげたほうがいい。
 なにしろ、「趣味はパソコン通信です」…と言っただけで、「ネクラねぇ」と思ってしまう女性がまだまだ多い日本なのである。 先日、『パソコン通信』という月刊誌にコラムを書いています、と言ったら、「ネアカの飯山さんにはふさわしくない」ときたので仰天したものだ。本誌を読んでもいないクセして、まったく生意気な女性だったが、あえて私は反論しなかった。パソコン通信に関してだけは決定的に遅れている日本人女性には、今さら何を言っても始まらないからネ。
 とは言っても、男性に比べて絶対数は少ないが、パソコン通信を楽しんでいる女性のアクティブ・メンバーには、キラリ! と輝く優秀な人間が少なくない。
 ここで、本誌編集部に注文をつけたいのだが、私のようなネアカというだけがとりえの中年男よりも、そうしたレベルの高い女性
ットワーカーにご登場を願い、書いてもらうべきだろう。そうすれば本誌の売り上げも倍増するはずだ。 また、本誌の名前は今のままでもいいとして、誌名の前に“女性のあなたもワクワク・ドキドキ……”といったコピーを大きくつけて欲しいな。
結婚ショーは政略婚に起源
 さて、結婚式の話に戻るが、高群逸枝の『日本婚姻史』によると、華美にして派手な結婚のショー的儀礼は、日本では戦国時代から始まったようである。
 政略婚は、イエとイエのネットワークづくりが成立したことの証明であるからして、これは派手に示威しなければならない。史上もっとも華麗にして大規模だったのは、二代将軍徳川秀忠の娘・和子(まさこ)の入内のときの儀礼だった。これがどれほど大袈裟であったかについては、宮尾登美子がその最新作『東福門院和子の涙』で克明に描いている。
 天皇家の婚姻儀礼は、近世は、政治的にも無力で財政的にも貧乏だったため、ことのほか質素で、華麗なパレードなどの示威行為は大正天皇からである。
 というわけで、現代の派手な結婚披露の儀礼は、天皇家も我々庶民階層も、戦国時代の武家の政略婚を起源にしているのである。だとすると花嫁の華美な衣装も、その本質は、イエとイエとの政略的な結びつきを誇る手段でしかないということになる。
大量の”冬彦さん”発生現象
 そんなこととはツユとも思わず、「女性なら一度は夢にまでみて憧れる花嫁衣装。その夢が実現した喜びと幸せを胸一杯に秘めて、新婦が再入場いたします。どうぞ皆様、とくとご覧ください」…などと司会者におだてられて、花嫁たちは今日もポーッとなっているかというと、最近どうもそうではないようだ。
 というのは、昨今の若い男性を女性たちは、結婚の相手としては敬遠しはじめているらしいのだ。
 少し前までは、高学歴、高身長、高収入という3条件を満たした“3高男性”は、希望すれば即結婚できたが、現在は女性側のチェックがさらに厳しくなっているため、おいそれとは結婚できない。
 この原因は男性側にある。すなわち、大量の冬彦さん(マザコン男性)の発生現象である。
 経済倫理学者・竹内靖雄教授によると、「女性に積極的に近づくことができない、その意欲もない、女性が好きではない、女性に関心をもたない」…という軟弱化した“恋愛難民”と呼ばれる男性が大量に増えているそうだ。恋愛難民は、当然にして結婚などできないから“結婚難民”でもある。
 かりに周囲の協力で結婚できたとしても、「最初から妻とうまくやっていけない、性生活がない、妻に蒸発される、駆け落ちされる、離婚される……」という悲惨な情況がまっているという。(以上『正義と嫉妬の経済学』より)
”オトナの男”や〜い!
 そういえば、あの事件。
 土俵に命を賭ける男のなかの男になるはずだった貴の花が、しっかり冬彦さんぶりを見せてしまって、宮沢りえチャンとの家庭づくりを断念したあの事件は、竹内教授の仮説を証明しているようだ。
 「一生を賭けて守る!」と雅子さんに宣言した皇太子は、貴の花とは好対照の男らしさをみせた。あの方の家を中心とする強大な閨閥は、今後ますます繁栄するであろうが、このままだと日本の普通の家庭は消滅してしまうのであろうか?
 こんなことを酔った頭でボンヤリ考えている私の耳に、「新郎のどんな点にひかれたのですか?」という月並みな質問が聞こえてきた。
 新婦の答は、「オトナの紳士である」というものであった。この答、まさしく慧眼である。新婦は、幼児化してしまった日本男性諸君の現状をよく見ている。
 そこで、本日の結論。“日本の女性はオトナの男性を求めている!”

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