1993.12
★”ひらがな”を考える
”いろは歌”に隠された秘密とは?
怖い話も平仮名で書けば優しくなる…

 先ごろ、私は大恥をかいた。
 衆目の前で、「誕生日」という漢字が書けなかったのである。
 文章を書くのはワープロだけ、鉛筆やペンなど使ったことがない。そのせいで漢字が書けなくなった、という人が最近増えている。私もその一人である。
ネットワーカは平仮名が好き
 ワープロの特徴は、ひらがなを簡単に漢字に変換してくれることだ。だから、ワープロで書かれた文章には漢字が多くなる。つまり、漢字含有率が高くなる。
 パソコン通信の文章の場合はどうか?パソコン通信の文章はワープロで書かれているから、漢字含有率は当然高いはずである。しかし、どうもそうではないらしいのだ。
 『パソコン通信の心理学』(信山社)によると、パソコン通信のメッセージの漢字含有率は、20数%だそうだ。これは、一般の雑誌や新聞記事の漢字含有率が30数%というのに比べて相当に低い数字だ。
 ということは、パソコン通信の書き手がワープロでメッセージを書くときは、
「漢字に変換されかけた文字をひらがなに戻す努力」をしているということなのだろう。
 たしかにワープロの漢字変換機能は、まったく予期しない言葉までを漢字に変換してくれるから、やはり何らかの努力をしないと、ひらがなの多い文章にはならない。
 私の実感でも、パソコン通信の文章には「ひらがな多用傾向」があると思う。
平仮名から始った日本文化
 さてそのひらがなだが、この文字は、漢字と比べると印象がやわらかく、また優しい感じがする。そして、文は人なりで、ひらがなを多く使う人には優しい人が多い。ひらがなには曲線が多く、まろやかで、まさしく女性的である。
 実際、ひらがなは平安時代のはじめの頃、先ず女性がつかいはじめた。いや、当初ひらがなは、「女手(おんなで)」と呼ばれていて女性専用の文字だった。そして、源氏物語、枕草子と、ひらがなは、平安女性の才能を爆発させた。
 以来、ひらがなは日本の歴史と文化の創造に重要にかかわってきた。もっと大胆に言うならば、ひらがなは日本の文化そのものである! といってもよい。
 いまから考えると、万葉仮名の時代の日本文化は、ほとんど中国か朝鮮の文化であった。『万葉集』にしても古代朝鮮語で読んだほうが意味が通じるという説もあるくらいだ。
 ともかく、ひらがなの発明により日本文化は、中国文化から別れて独自の文化を形成しはじめたのである。
「いろは歌」と「千文字」
 ところで、ひらがなの普及に大きな貢献をしてきたのは“いろは歌”である。
 “いろは歌”は、ひらがな文字の全部を使っていて、一字の重複もない。そのの語呂のよいひびきは、すぐにおぼえられる。そして、その書き方を学べば、すべてのひらがなが習得できるという便利この上ない教材であった。
 また、「色は匂へど散りぬるをわが世誰そ常ならむ・・」という文句は、日本人の無常感を見事に表現しており、“いろは歌”は、ほとんど文学である。
 このような文学、たとえばABCからZまでの全てのアルファベットを使った意味のある文章が欧米にはあるのだろうか?
 そうそう、中国には“いろは歌”よりも凄いのがある。「千字文」というやつだ。これは、なんと一千字の漢字が一字も重複することなく、宇宙の大より微物の末に至るまでの事象が素晴らしい韻を踏んで歌われている。
「天地玄黄、宇宙洪荒」という有名な文句ではじまる四言二百五十句の見事な詩の作者は、周興嗣という梁の武帝に仕えた知識人である。周は、武帝の命を受けると「千字文」をその日のうちに徹夜で書きあげてしまったが、苦心の結果、頭髪は一夜のうちに真っ白になったという。
「いろは歌」に隠された暗号
 「千字文」は、いかにも中国らしい韻を踏んだ四言の漢詩だが、“いろは歌”は七五調で、まさしく日本的である。この“いろは歌”の作者は誰なのか?
 それは、柿本人麻呂である! という面白い説を紹介しよう。
 15、6年前、“いろは歌”には戦慄すべき恐ろしい暗号が隠されているとして、大騒ぎになったことがある。 「暗号」の謎を解いたのは、『いろは歌の謎』という本を書いた篠原央憲さんだ。
 古来“いろは歌”は、次のように七行で書かれてきた。

     いろはにほへと
     ちりぬるをわか
     よたれそつねな
     らむうゐのおく
     やまけふこえて
     あさきゆめみし
     ゑひもせ  す

 暗号は2つ。ひとつは、七行で書かれた“いろは歌”の各行の末尾が、「とかなくてしす」と読め、これは「咎なくて死す」というメッセージなのだという。
 咎(とが)なくて死んだ、つまり罪もないのに殺されたのは誰なのか?
 2つめの暗号は、“いろは歌”の末尾から2つ上を読んでいくと、「ほをつのこめ」となる。これは「本を津の己女」ということで、「本」とは『万葉集』のことなのだという。つまり、罪もないの
に殺された因縁が、『万葉集』に書いてあると。
 かくして、日本の民族的な文化遺産である『万葉集』は、“いろは歌”に隠された暗号によって、この世に残ることができたのである・・という篠原央憲さんの本は、歴史の面白さと本を読む楽しさを充分に味わわせてくれる絶好の本だ。
現代にマッチする平仮名
 篠原さんの説をそのまま小説にした本に『猿丸幻視行』(井沢元彦)があり、これも楽しい本だ。もっと知的スリルが味わえるのは、『水底の歌』(梅原猛)という本だ。
 私は、以上の本を主に学生さんにすすめてきたが、ひとり、大変するどい感想を述べた青年がいた。
 「恐ろしい暗号を含んだ“いろは歌”なのに、その恐ろしさが薄れたのは、最初は漢字で書かれていた“いろは歌”がひらがなで書かれるようになったせいもあるんでしょうね? 飯山さん」
 「ん?」と、私は思わず聞き返した。 青年はさらに鋭い見解を述べた。
 「ひらがなは、優しい感じがするので気持ちがなごむんです。喧嘩状は漢字で仲直り状はひらがなで、と言いますからね」
 「なるほど! 危険、と漢字で書くといかにも危険な感じがするが、ひらがなで“きけん”と書くと危険な感じがしないものなぁ」と、私は青年に同調した。
 “喧嘩状は漢字で書いて、仲直り状はひらがなで書く・・”とは、誰の言葉か知らないが、文字の本質を言い当てていると思う。
 「ひらがなは、まろやかで女性的で、いわば平和の文字なんです。だから僕はひらがなを多く使うようにしています」と言う青年の表情は、少し女性的だったが柔和だった。
 「だとすると、ひらがなは“女性化の時代”を象徴する文字なんだぁ」と私は茶化し気味に言った。
 「いや、いままでが男性と女性の境界がハッキリしすぎていたんです。男性と女性の間に冷戦構造があったのです。」
 「それで?」
 「冷戦の時代は終ったのです。男性が女性化し、女性が男性化して丁度いいんです。男だ、女だ、とあまり意識しないで生きてゆける時代が来たんです。」
 「ふむふむ」
 「ひらがなは、こういう時代にマッチする文字なんですよ、飯山さん」
 おーし! ぼくも、これからは、ひらがなを、たくさん使うぞっ!

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